平成29年5月8日
教育勅語について学ぶべきはその精神である
「森友学園」の問題に付随して語られる教育勅語批判
学校法人「森友学園」の国有地売却の問題では、その教育方針について問題視する声も上がり、特に「教育勅語」についての批判が繰り返された。例えば四月五日、毎日新聞の社説では「教育勅語の学校教材活用 負の歴史しか学べない」というタイトルで、その価値を全否定している。社説では「戦前の教育勅語は国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たし、戦後、国会の決議で失効した」と述べ、特にその核心を「『天壌無窮の皇運』(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時のために命をかけよ、と説いている点にある」として、教育勅語を学校教材として活用するのを否定しないとする政府の答弁書に対し、全否定を求めている。
勅語成立の過程
要するに教育勅語こそが戦前の軍国主義教育を助長した元凶であるというお決まりの思考パターンであるが、我々がもつべきは、そういった物事を単色に塗り立てるような思考法ではなく、先人が日本の国をどう形作ろうとしてきたのか、という点を理解しようとする態度なのではないかと考えるのである。教育勅語は明治維新により急速に西洋化する日本において道徳心の荒廃を懸念される明治天皇が日本人が立脚する道徳の根本が必要とお考えになり、教育上の基礎となるべき『葴言』の編纂を命じられたのが発端だ。起草にあたる井上毅は明治憲法の草案作成にも携わっているが、欧米視察後、日本の歴史について勉強を重ね、国体の理念を、民の心、神の心を知り、それを自己に同一化しようとされた天皇の徳によって国家が始まっていると確信する。教育勅語の起草にあたっては政治色、宗教色を排することに苦心し、勅語案に関して元田永孚との間で修正のやりとりが念入りに行われた。そして他の政治上の勅語と区別し、権力の押しつけではなく、徳を自ら実践される天皇の純粋なお言葉として発せられることになったのである。(伊藤哲夫著『教育勅語の真実』致知出版社より)
今も残る勅語の価値
教育勅語には「之を中外に施して悖ラス」という一節があるが、諸外国においても普遍的な価値を示したものとして絶賛されたという。書かれている内容は省略するが、いずれも現代の日本においても十分に通用する内容であり、むしろ日本人が大切にしてきたこのような価値が今失われているがために、学校教育が非常に難しい状況になっているとさえ感じるのである。よく問題視されるのが、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ幸運ヲ扶翼スヘシ」の部分であるが、これは「国家危急の際には勇気を奮って公のために行動し、いつまでも永遠に継承されて行くべきこの日本国を守り、支えていこうではありませんか」(伊藤哲夫氏の現代語訳)ということであり、東日本大震災の時の自衛隊、消防、警察、自治体の方々の勇気ある行動やご家族が犠牲になりながらも互いに助けあった人々、そして死の淵で日本を救った福島原子力発電所の方々の行動と無縁のものとは思えない。今後に活かすために
さて、本論では何も教育勅語をそのまま復活させて、児童生徒に暗唱させよと主張しているわけではない。日本人がいかなる徳を重んじてきたか、という点については教育勅語に学ぶことが多くあり、我が国に主権のない占領下の国会決議で失効したという理由で、タブー視するのではなく、先人の思いを読み解きながら、今後の展望を描くべきだと言いたいのである。文部科学省では「特別の教科 道徳」を設置し、道徳の指導の一層の充実を図るために「考え、議論する道徳」への質的転換を求めている。検定教科書も作られ、指導法に関しては様々な工夫、改善が必要となる。
教師は、日本人の道徳観や美風がいかにして形成されてきたかという点も考慮し、人間教育の根幹ともなる道徳教育への新しい道を開くために教育勅語に込められた精神を活用すべきであると考える。
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