平成29年3月14日
次期学習指導要領に見る人材育成論の盲点
平成28年12月に公表された中央教育審議会の学習指導要領改訂に向けた答申を踏まえ、文部科学省は平成29年2月14日に幼稚園教育要領、小・中学校指導要領の案を公表した。現在は意見公募手続き(パブリック・コメント)を実施している段階である。
今回はその答申、学習指導要領案に見る人材育成論について識者の論を紹介しながら考えてみたい。
育成すべき資質・能力
すでによく知られているが中教審答申では育成すべき資質・能力の三つの柱を提示している。①「知識・技能」、②「思考力・判断力・表現力等」、③「学びに向かう力・人間性等」である。さらに現代的な諸課題に対応して求められる資質・能力として、主権者、グローバル化、地域創生等をキーワードとする力が示されている。
「社会に開かれた教育課程」を銘打っているが、背景に情報化やグローバル化といった社会の劇的な変化による予測不可能な未来像があり、主体性や協働性を持った個の育成という理念が感じられる。
子供「客体視」への危惧
さて、安彦忠彦氏(神奈川大学招聘教授)はこの「社会に開かれた教育課程」の元に「コンピテンシー」という産業界で重視されてきた資質・能力があると指摘し、「『実社会で発揮される大人の資質・能力』を高校以下からも育てよと言う社会的要請に応える改訂」であると述べている。(日本経済新聞平成29年2月27日)。
もちろん学習指導要領は子供の主体性の育成を求めているが、安彦氏は社会にとって有能な人材を育てることが主眼となると、子供が「客体」として扱われることになると危惧している。要は子供の人格形成に留意し、将来の学問研究につながる子供「主体」の興味関心を大切にせよということだが、この指摘には教師が見落としてはならない「不易」の視点があると考える。
グローバル人材・キャリア教育充実の目標設定は妥当か
直接学習指導要領改訂について論じたものではないが、苅谷剛彦氏(オックスフォード大学教授)の人材育成論は学習指導要領とも通底する主体性や批判的思考力の本質を考える意味でとても参考になる(日本経済新聞平成29年1月20日)。
苅谷氏の論は、「主体的な学びや批判的思考力が日本の教育に求められているが、グローバル人材育成の議論に典型なように、そこでの主体性や批判的思考力は、人材の高度化=生産性を高めるための資質として語られる」が、果たしてそれだけでよいのかという問題提起である。
高度化した能力はより高度な過剰サービスを提供する中で使い果たされる
まず、苅谷氏は文部科学省の学校基本調査から、近年、大卒就職者のうち、サービス業(特に医療・福祉系)と小売業・卸売業への就職者が増加し、過半数を占めている実態に触れ、日本経済のサービス産業化を指摘している。就業者の学歴上昇は生産性を高めるはずだが、日本の労働生産性は停滞したままであり、生産性=賃金の上昇をもたらさず、就業機会がどのように配分されるかが報酬を決めていると述べている。
さらに実証データのない仮説としながら、高まったはずの人的資本が生み出す価値は、価格に転嫁されない他の先進国以上に行き届いたサービスを消費者が受け取ることで使い果たされると述べている。つまり我々が享受している便利で快適な生活を成立させる報酬に反映しにくい過剰サービス労働に消えていると言うのである。それは国際比較のできない内需型産業ゆえに許される仕組みであり、閉じた仕組みの作動(=サービスのガラパゴス化)と苅谷氏は指摘している。
大人が築いた社会を吟味し再構築する能力
確かにその仕組みの下での教育の役割は人材の高度化のみを目指すのではなく、その仕組み自体を疑い、変革していく批判力・判断力の育成ということになる。先述の安彦氏も「大人が築いてきた国家・社会を吟味にかけ、再構築する自由と能力が育てられなければ社会自体の発展もなく、個人としての生きがいも感じられないだろう」と述べており、相通じる考え方ではないかと感じる。人材育成論も一筋縄ではいかず、現在の議論の中に盲点もあるだろう。学習指導要領を基に議論を重ね、大人が現代の矛盾にあらがう姿勢を示すことも大切なのではないかと考える。
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