平成29年7月28日
幸せは掴み取るもの?辿り着くもの?
■幸せは感謝から生まれるもの
私たちは誰もが「幸せ」でありたいと願います。しかし、私たちはそれぞれが努力することで、「幸せ」を掴み取ることができるのでしょうか。昭和の時代に流行した歌の歌詞に、「幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだね。」というものがありました。私たちは継続的に頑張ることだけで「幸せ」に辿り着くことができるのでしょうか。私が今年の3月まで9年間勤務していた高校の教育目標の中に、「幸せな社会人として生きていける力をつける」というフレーズがあります。そのため私は、生徒たちに「あなたにとっての幸せって何ですか?」と質問することがよくありました。「たまにある休日」「定期考査が終わった瞬間」「部活動の公式戦で勝ったとき」など、いろいろな答えが生徒からは返ってきます。そんな時、ある生徒からこんな答えが返ってきました。「家に帰ったら、おいしいご飯ができていること。」この生徒が過去にどんな経験をしたのかまでは分かりません。ただ日常のごく当たり前のことにありがたい、と感じているのであれば、その「感謝」の気持ちが「幸せ」な気持ちを生んでいるのです。そんな子供たちを私たち教師は育てる必要があるのではないでしょうか。なぜなら、感謝する気持ちが強ければ強いほど、「幸福度」は上がると、私は思うからです。
■「幸福度」って本当に計れるの?
私たちの住む福岡県は、「県民幸福度日本一」を目指しています。計画策定後毎年度実施している「県民意識調査」では、計画5年目となる、平成28(2016) 年度に、福岡県に生まれて良かった、生活して良かった」と思う県民の割合が、初めて8割を超えたということです。確かに福岡は生活しやすいと、個人的にも感じます。福岡県に「幸せ」な生活を送る人が多いことは喜ばしいことです。福岡県として一つの目標として目指すことは素晴らしいことだと思います。ただ、「幸せ」は一人ひとりの感じ方次第の部分があります。全く同じことが、ある人には「幸せ」なことで、ある人には「不幸せ」なことであることもしばしばです。例えば、私は、日曜日の夜に月曜日の準備ができる時間が取れることに「幸せ」を感
じています。家族の理解があって初めて、翌日の会議資料を作ることができ、これから
1週間の仕事内容について確認できるのです。余裕をもって月曜日の朝を迎えることが
できます。妻や子供たちに本当に感謝しています。
■幸せは自己有用感から生まれるもの
「幸せ」は、先に述べたように、その人によって様々だと思います。私は自分の考え方を子供たちに押し付けるつもりはありませんが、個人的な意見として、次のように話してきました。「自分が誰かのためになっている。そう感じられることが、私にとって幸せなことです。」いわゆる自己有用感を感じ取れることが、「幸せ」に繋がると私は考えています。「私が働くことが家族のためになっている。」「私が登下校時に通学路に立つことが、生徒たちのマナー意識向上に繋がっている。」自分の存在が誰かためになっている。そう感じ取れることは、間違いなく「幸せ」なことです。■幸せは一人ひとりの心が感じ取るもの
幸せは、掴み取るものでも、辿り着くものでもありません。幸せは、感じ取るものです。そして、幸せな人ほど「感謝」の気持ちと、「誰かのために役に立ちたい」という気持ちが強いと、私は信じています。多くの教師が「大変だけど幸せ」という感情を味わっているだろうと思います。それは目の前にいる子供たちのおかげです。この素晴らしい職業に就いていることに感謝して、子供たちの成長のために頑張りましょう。
(事務局長 藤野 英二)
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