平成28年3月23日
夫婦同姓合憲~家族のあり方見直す契機に~
夫婦同姓合憲
最高裁判所は昨年十二月十六日、夫婦同姓を定めた民法の規定が憲法に反しないとの判決を出した。この問題は平成八年に法制審議会が選択的夫婦別姓制度の採用を含めた民法改正を答申したことに端を発する。以降、何度も別姓制度導入の民法改正案が準備され、議論が行われてきたが、司法判断として一定の決着がついたものと考える。
個人の自由のみが素晴らしいことなのか
法制審議会の答申は、「選択的」なので一見すると「個人の自由」が尊重され、「家族の多様化」を促す、より進んだ家族のあり方と感じられる。一度、学校で時事テーマに関する集団面接の練習にこの問題を取り上げたことがあるが、ほとんどの生徒は肯定的で、「個人の自由が認められるのは素晴らしいことだ」といった意見を述べていた。そして親子やきょうだいで別姓になる可能性があることを指摘したところ、初めて自らのこととして深く考える様子だったと記憶している。学校教育自体が集団より個の尊重、強制よりも自由、多様化への対応といった方向に流れているので無理もないことだと思う。
家族の縦の絆を断ち切る危険性
しかし、二つの点をよく考えなければならない。一つは家制度そのものを危うくする、つまり家族の縦の絆を断ち切り、同時代に生きる個人しか意識しなくなるのではないかという危険性である。現に答申を出した法制審議会の事務方である法務省民事参事官であった小池信行氏は次のように述べているそうだ。「夫婦別姓を認めるとなりますと、家族の氏を持たない家族を認めることになり、結局、制度としての家族の氏は廃止せざるを得ないことになる。つまり、氏というのは純然たる個人をあらわすもの、というふうに変質するわけであります」(正論二〇一六 三月号八木秀次氏論文より)それゆえ、別姓を希望する人たちだけの問題ではなくなるのである。夫婦と子供を同じ戸籍に記載する戸籍制度についても別姓制度が続けば形骸化することも予想される。一月に全国の地方紙に掲載された法政大総長田中優子氏の論のように「戸籍制度をマイナンバー制度に吸収し、将来的に戸籍制度を撤廃すること」を提唱する意見もある。これでは先祖とのつながりをどう意識していくのだろうかと不安を覚える。確かに離婚が増加している現在、女性のみが不利益を被る場合もあるだろうから、そこに配慮する必要はある。しかし、これをもって全体を覆すというのには違和感がある。
子供視点での議論の深まりを
もう一つが子供に及ぼす影響である。今回の判決においても寺田逸郎長官は補足意見で子供の姓に関して、①結婚後のどの時点で姓を選択するのか②一組の夫婦に複数の子供ができた場合、子供ごとに姓を選択するのか③きょうだいで統一するのかーなどの問題に触れ、子供視点での議論の深まりを求めている。親がある意味、個としてのアイデンティティーを追い求めた結果、伝統的な子育てが受け継がれず、いろいろな問題が出てきているという面も否定できない。また、学校で子供に接するとき、子供の多様化の背景に家庭の多様化があるという現実に直面する。子供を産み、育てるための基本的な集団単位としての家族の安定こそが今日本に最も求められているということが日々子供と接する職業にある人々の実感ではないか。児童虐待やいじめ問題、少年非行など様々な問題は家族のあり方と無関係ではないと考える。判決は立法府である国会での議論も促しているが、子供を中心に置き、家族を弱体化させるものではなく、健全な子供の成長を促す最善の策は何かという視点からの議論を望む。そして国民全体も家族のあり方を見直す契機としたいものである。※本稿は平成27年2月11日に産経新聞に掲載された「一筆両断」に修正を加えたものです。
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