令和元年6月6日
「校則は本当にブラックか?」
■社会に規則は不可欠
人が社会生活を営む上で、規則は不可欠である。各国では憲法をはじめ様々な法律が制定されており、各地方自治体でも独自の条例等が整備されている。会社には社則があり、学校には校則がある。家庭内でも規則を決めることが多い。人は一人ひとりが安全で、健やかな生活を送るために、自らの手で規則を作り出してきた。規則は人が作り出したもの。であるならば、より実態に合った形に変えることは決して悪いことではない。
■郷に入りては、・・・
どの学校にも、校則が存在している。入学当初から、その校則に対して批判的に捉えるのではなく、まずは受け入れてみてはどうだろうか。守る前提で学校生活を送り、その中で疑問を感じたら、友人や先生に相談してみる。長い人生で、人は様々な社会の一員として、生活しなければならない。その社会には規則が存在する。その規則をまずは受け入れて、変える必要があれば、周囲の人と協議した上で変える。どんな社会においても、「話し合う」という手順を踏むべきであろう。
■規則の作られ方
規則は、その時々の必要性に応じて作られる。昨年来、児童虐待が大きな問題となっており、その防止法が強化された。校則については、多くの場合、開校時に制定され、時代の変遷とともに生徒総会等を経て、作り変えられている。例えば、二十年前には「スマホの校内への持込」を禁止していた高校が大半だったが、近年は「スマホの校内への持込」を許可する高校が増えてきた。実際には、校則もそれぞれの学校の実態に応じて改変を積み重ねている。
■校則改変の怖さ
前述の通り、校則は各学校の実態に応じて改変を重ねてきた。しかし、「守られていない校則」ほど、改変は難しい。なぜなら、「守らなければ、校則は変わる」と児童・生徒が感じたら、規則の意味がなくなってしまう。多くの学校では、「自分たちの主張を通したいのであれば、まずは現状の校則を守るように」と指導している。校則が守られている状態で、その校則が学校生活に支障を生じている場合には、校則を改変することに学校現場の教師も消極的ではない。
■服装・頭髪に関する校則
最近では、特に服装・頭髪に関する校則に対する疑問が投げかけられている。「なぜ、この髪型が校則違反なのか」「なぜスカート丈に規定があるのか」等。それは学校が生徒を社会に送り出すための準備機関の役割を有しているからである。特に高校は社会に直結している。上級学校への進学、企業への就職試験時の面接等に照準を合わせて、日常の指導に当たる。生徒一人ひとりの進路を実現させるためにも、「試験の時だけ、服装・頭髪を整えて行けば良い」という表面的な指導は、当然であるが、全人教育を旨とする学校現場ではできない。
■校則は生徒を守っている
児童・生徒たちが守るべき校則の中には、いつ、誰が作ったのか分からなくなっているものもある。しかし、これらの校則は、児童・生徒を守るため、または児童・生徒にプラスの効果があると考えて、作られたことに間違いはない。そして、時代の変化に応じて校則を改変することも、間違いではない。より実態に合った校則を、児童・生徒と教師、時には保護者も巻き込んで、作り上げてはどうだろうか。
■校則について話してみよう
学校は、児童・生徒が社会人として自立するために、様々な学びを経験する場である。集団生活の場であるからこそ、公平性・公正性を保つために、細かい校則が準備されることもある。しかし、校則は本来、児童・生徒を縛るものではない。現在の校則が、学校の実態に合っているものなのか、大人と子供が一緒になって、大いに話し合ってもらいたい。児童・生徒一人ひとりが、安全で、健やかな学校生活を送るために、お互いが気をつけるべきこと、実践すべきことは何なのか、協議してはどうだろうか。そんな過程を経て、改変される校則であれば、それは、その学校にふさわしい校則であろう。
■校則はブラックではない
人は規則の全くない社会で生きていくことができるだろうか。規則があるから、人は安心して生活することができる。学校での校則の在り方も同様でなければならない。子供たちが安心して学校生活を送るための校則でなければならない。
人が社会生活を営む上で、規則は不可欠である。各国では憲法をはじめ様々な法律が制定されており、各地方自治体でも独自の条例等が整備されている。会社には社則があり、学校には校則がある。家庭内でも規則を決めることが多い。人は一人ひとりが安全で、健やかな生活を送るために、自らの手で規則を作り出してきた。規則は人が作り出したもの。であるならば、より実態に合った形に変えることは決して悪いことではない。
■郷に入りては、・・・
どの学校にも、校則が存在している。入学当初から、その校則に対して批判的に捉えるのではなく、まずは受け入れてみてはどうだろうか。守る前提で学校生活を送り、その中で疑問を感じたら、友人や先生に相談してみる。長い人生で、人は様々な社会の一員として、生活しなければならない。その社会には規則が存在する。その規則をまずは受け入れて、変える必要があれば、周囲の人と協議した上で変える。どんな社会においても、「話し合う」という手順を踏むべきであろう。
■規則の作られ方
規則は、その時々の必要性に応じて作られる。昨年来、児童虐待が大きな問題となっており、その防止法が強化された。校則については、多くの場合、開校時に制定され、時代の変遷とともに生徒総会等を経て、作り変えられている。例えば、二十年前には「スマホの校内への持込」を禁止していた高校が大半だったが、近年は「スマホの校内への持込」を許可する高校が増えてきた。実際には、校則もそれぞれの学校の実態に応じて改変を積み重ねている。
■校則改変の怖さ
前述の通り、校則は各学校の実態に応じて改変を重ねてきた。しかし、「守られていない校則」ほど、改変は難しい。なぜなら、「守らなければ、校則は変わる」と児童・生徒が感じたら、規則の意味がなくなってしまう。多くの学校では、「自分たちの主張を通したいのであれば、まずは現状の校則を守るように」と指導している。校則が守られている状態で、その校則が学校生活に支障を生じている場合には、校則を改変することに学校現場の教師も消極的ではない。
■服装・頭髪に関する校則
最近では、特に服装・頭髪に関する校則に対する疑問が投げかけられている。「なぜ、この髪型が校則違反なのか」「なぜスカート丈に規定があるのか」等。それは学校が生徒を社会に送り出すための準備機関の役割を有しているからである。特に高校は社会に直結している。上級学校への進学、企業への就職試験時の面接等に照準を合わせて、日常の指導に当たる。生徒一人ひとりの進路を実現させるためにも、「試験の時だけ、服装・頭髪を整えて行けば良い」という表面的な指導は、当然であるが、全人教育を旨とする学校現場ではできない。
■校則は生徒を守っている
児童・生徒たちが守るべき校則の中には、いつ、誰が作ったのか分からなくなっているものもある。しかし、これらの校則は、児童・生徒を守るため、または児童・生徒にプラスの効果があると考えて、作られたことに間違いはない。そして、時代の変化に応じて校則を改変することも、間違いではない。より実態に合った校則を、児童・生徒と教師、時には保護者も巻き込んで、作り上げてはどうだろうか。
■校則について話してみよう
学校は、児童・生徒が社会人として自立するために、様々な学びを経験する場である。集団生活の場であるからこそ、公平性・公正性を保つために、細かい校則が準備されることもある。しかし、校則は本来、児童・生徒を縛るものではない。現在の校則が、学校の実態に合っているものなのか、大人と子供が一緒になって、大いに話し合ってもらいたい。児童・生徒一人ひとりが、安全で、健やかな学校生活を送るために、お互いが気をつけるべきこと、実践すべきことは何なのか、協議してはどうだろうか。そんな過程を経て、改変される校則であれば、それは、その学校にふさわしい校則であろう。
■校則はブラックではない
人は規則の全くない社会で生きていくことができるだろうか。規則があるから、人は安心して生活することができる。学校での校則の在り方も同様でなければならない。子供たちが安心して学校生活を送るための校則でなければならない。
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