第19回
平成27年3月12日
~利休釜掛の松~
第17回で紹介した「十六宵遺跡鏡の井」の説明版には、次のように書かれていました。
「天正15年(1587)に豊臣秀吉が博多を訪れ、千代の松原で茶の湯の会を催したとき、随行の千利休はこの井戸の水を汲んで茶を点じて秀吉に奉ったということだ。」
秀吉が九州平定を終えて筥崎宮に滞在中、千利休や神屋宗湛らと茶会を持ちました。利休は松の枝に鎖をかけ、そこに雲竜の絵柄の小釜をつるし、白砂の上に散り敷いた松葉をたいて湯をわかしたそうです。
この跡地は九州大学医学部構内にあり、「利休釜掛の松」として顕彰されています。秀吉は箱崎に一ヶ月程滞在し、「太閤の町割り」として知られる博多の復興事業を指示しました。
前の記事
~金波山西岸院 稱名寺~次の記事
~長塚節逝去の地~