福岡教育連盟は教育の正常化を目指し、日々教育活動に励む教職員の集まりです。

私たちの主張

Opinion

平成2611

道徳教育の根幹について考える


道徳教育の課題

福岡教育連盟では中学校と高等学校との連携を図った道徳教育の在り方を考えるための勉強会を立ち上げ、現在、意見交換と協議を行っている。教育活動全体で行うべきということは共通するのだが、道徳教育の要として道徳の時間が週一時間設けられている中学校とそうではない高等学校では道徳教育の考え方に微妙にズレがあると感じていたからである。中学校では道徳の時間があるので、指導法やスキルといった技術が重視される傾向にあり、一方で高校では道徳教育とはあまり意識されない中で、各教師がHRや教科の授業で実践を行ったり、学校行事や特別活動の中で取り組まれているのだが、人間としての在り方生き方をどう考えさせるかという視点でさらなる体系化と組織化が課題である。社会から寄せられる道徳教育への期待は高まるものの根幹が十分に共有されていないというのが現状であり、そもそも「道徳教育は何のためにやるのか」という土台を基に、発達段階に応じた指導法が共有される必要がある。

中教審の答申を読む

平成26年10月21日、中央教育審議会は「道徳教育に係る教育課程の改善等について」答申を出した。答申では「特別の教科 道徳」(仮称)を教育課程上に位置づけ、道徳教育の充実を図るよう提言したものであるが、一読して、次の二点に注目した。一つは内容や指導法を「発達の段階を踏まえた体系的なものに改善する」ことが提言されていることだ。「小学校低学年では、人としてしてはならないことを具体的に指導」すること、「中学校では、人としての生き方や在り方について多角的に考えさせることを重視する」とある。これは勉強会でも取り上げている「ヒトの教育の会」会長の井口潔先生(九州大学名誉教授・医学博士・理学博士)の理論にも通じている。感性を司る古い脳(大脳辺縁系)に道徳(人間として生きる道)を人格の中に入れる必要があり、そのためには訓練・躾が十歳までに行わなければならないというものである。青年期になって道徳を教育すると知性を司る新しい脳(大脳新皮質)に入るので人格の中に入らず、処世術(うまく生きる)になってしまうそうだ。「発達段階」については人間の根源論に基づく共通認識の下、小中高のバトンを引き継ぐ視点がまず必要だと思う。もう一つは「学校と家庭や地域との連携の強化」を求めている点である。教育はもはや学校だけでは成り立たなくなっている。子供は大人の姿を映す鏡という観点から機運を高めていく必要がある。本年度から文部科学省が配布した「私たちの道徳」は家庭での活用もねらったものであるが、そのねらいがさらに浸透することを期待したい。

道徳教育は何のためにやるのか

さて、「道徳教育は何のためにやるのか」である。一つは発端となったいじめ問題への対応という意味もある。勉強会の中で、共通の土台は何かを模索した時、「それは立派な人間に育てるため」という答えもあったが、何か物足りなさを感じる。学習指導要領の目標に「未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うこと」とあるが、グローバル化の中で「日本人」をいかに育てるかという視点が中心に来る必要があると考える。

国民的基盤に立つ道徳教育を

「福岡教育連盟創立四十周年記念誌」に寄稿された國武忠彦先生(元神奈川県立高校校長)による『「日本にふさわしい教育」を求めて―福岡県教職員連盟のあゆみ―』には昭和三十年代に政治闘争へと邁進する日教組を脱退し、毅然として新組合を立ち上げられた先生方のあゆみが記述されている。その中に「道徳教育に対する日教組の態度と我々の立場」と題した文章が載っているが、その最後はこう締めくくられている。「われわれは国民的基盤に立つ正しい道徳教育を振興する。日本人としての自覚を以って、自由を守り、個性を尊重、社会正義を貫き、自主独立の精神に富んだ人間教育を深めると共に、正しい国家観を確立せしめ、もって国際社会の信頼と尊敬をうけるに足る国民の育成に努力する。道徳教育の問題が、所詮教師の人格識見に帰着することを確認し、自ら日本にふさわしい道徳観の確立と啓培に務めるものである。」 理念の前に指導法があるわけではなく、「国民的基盤に立つ正しい道徳教育とは何か」を突き詰め、共有化を図ることが重要だ。「教師の人格識見に帰着する」という言葉は教師にとってずっしりと重い。しかし、正面からこれらの言葉を根幹に据えることから道徳教育ははじまるものと考える。

※この文章は平成26年11月20日に産経新聞に掲載された「一筆両断」に修正を加えたものです。